2006年05月19日

松菱への想い

松菱への想い ボクが横浜の大学を卒業したのが昭和50年。大学4年生の5月に横浜を代表する百貨店に就職内定。浜松の実家に報告したら「浜松に帰って来い!」

 流通業界と接客業に身を置きたいと考えていたボクは7月1日に「松菱」を受験。不採用ならラッキー!横浜で暮らせる…。

 そんな松菱での社会人生活が翌年の4月から始まりました。
 食品・紳士服・労働組合専従・経理・マーケティングと楽しく百貨店人を過ごしていました。

 労働組合の執行委員長をしている時にお世話になった人達、ちょうど連合の浜松地域協議会を立ち上げようという熱い仲間たちと交わるうちにふとボクに生まれた想い。
 このままこの企業にとどまるかそれとも大海原に飛び出してまだ見ぬ人達と新しいことを始めるか。

 父親の急死で心が揺れていたのも事実です。松菱を退職して新しい世界に飛び込みました。
 が、松菱はボクにとって「おざいしょ」です。

 松菱の建物の中には太平洋戦争当時の艦砲射撃で受けた傷跡が残っていました。
 今はもう取り壊してしまってありませんが、10年ほど前までは経理課の下の警備室と地下の美濃盛のあった建物には天井の低い部屋(通路)があり、その壁は黒く焦げていたのを思い出します。

 静岡銀行浜松支店は歴史のある建物ですが、やはり戦前に建てられた「松菱百貨店」は浜松市民にとって保存の対象に値する建造物ではないでしょうか。
松菱への想い
 真偽は不明ですが、戦前の松菱で使われていた三菱製のエレベーター、そのレベル(フロアごとの高さ)に合わせて戦艦「大和」が設計され、軍事供出されたと富士重工業の元社長、中島源太郎元文部大臣がおっしゃっていたことを思い出します。

 こんな浜松の歴史的な宝「松菱」を壊してしまってよいのでしょうか。
街へ行く=「松菱へ行く」、この言葉がわかる年代の人達にはこの建物が特別なものだと知っていると思います。

 今日は重い話で済みません。
 先日静岡銀行の建物を見て考えていた、どうしても伝えたいことでしたので…。


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この記事へのコメント
お久しぶりです。ぴよぴよです。
松菱は・・・特に、あのハイカラな玄関が好きです。
独身時代、浜松に遊びに来て松菱へ行き、
わ~なんて素敵なんだろう!と思いました。
あの素敵な建物・・・壊されてしまうんですか?
とても・・・惜しいと思いますが・・・。
Posted by ぴよぴよ at 2006年05月19日 08:11
浜松市民のある年齢層までは誰もが松菱への想いを持っていますね。
一番よく話題なのはアイスクリーム、そして食堂、となりのヤマタカさん。
浜松一の百貨店として学校でも焼け残った松菱のことを教えられ、浜松
市民の復興のシンボルとプライドともなったものでした。
百貨店がたくさんあった時代にも浜松の三越である松菱での買い物は
三越同様に老舗の包装が奥様たちのブランドでもありました。
エスカレーターを上ると低い天井、フロアの低さが目に付くところが新し
い百貨店と違うところでした。
浜松人の永久なるものと思われた松菱の崩壊に誰もが身内のことの
ように心配したものでした。
取り壊されるお話があるなら残念です。
Posted by イチロー at 2006年05月19日 08:13
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